

ピースあいち「語り手の会」会員の橋本克己さん(86)=名古屋市在住=がきのう30日、富岡ふるさと会館で開催された「戦争体験を聞く会」(八名郷土史会・八名地区共育推進委員会共催)で、満蒙(まんもう)開拓団の一員として満州に渡り孤児となって日本に逃れた壮絶な過去を語りました。
満蒙開拓団は,1931年から 45年の終戦まで,旧満州国に実施した国策移民。東三河郷開拓団は県が送り出した唯一の開拓団で、北設,海老町を中心に146戸が参加しました。
八名村(現新城市)に生まれた橋本さんは7歳の時一家8人(妹1人は満州で誕生)で、開拓団の一員として、新城から満州竜江省に渡りました。中国人からただ同然で買い取った土地で穀物作りをしていましたが、終戦と同時に現地の人に襲われることになり、必死にチチハルへ逃げました。目前で人が死ぬ姿も見たし、銃口を突きつけられる経験もし、空腹と寒さの中で毎日おびえて暮らしたそうです。チチハルでは、不衛生な環境で伝染病が蔓延し、家族が次々と亡くなりました。橋本さんは10歳で孤児となり一人帰国しました。
橋本さんはその後、25歳で結婚。名古屋で里親登録し、20年あまりで10人の子を養育されました。
講演の中で、橋本さんは時折涙に声をつまらせながら、戦争の悲惨さをコロナ禍でも集まった約50人の参加者に語りかけました。「戦争は正常な考えのできない狂った人間をつくってしまう。戦争は人間がやってはいけない最低のこと」と訴えました。
八名郷土史会の安形茂樹会長は「コロナ感染拡大で延期になっていた戦争体験を聞く会をやっと開催でき、橋本さんとの約束が果たせて安堵している。東三河郷開拓団の存在をしってもらい、平和を守ることの大切さを感じてもらえたと思う」と話しました。

